Shikanosuke’s blog ボケとツッコミ時々人生考察

引き寄せ・潜在意識・宇宙の法則……その他こんなこと、あんなこと

ちょっとあせってるぅ💦 だって年越しだしぃ、なんかビシッと決めたいじゃん

あらあらあら~~ぁ、もう令和4年が終わっちゃう。

 

それがどうした? って言われりゃ

どうもしないんだけどね……でもちょっとねぇ、焦ってるんだなぁこれが。

 

相も変わらずつまんないことをつぶやいている鹿之助ですだよ。

 

いや、あしたは大晦日なんだけど、ということは、一応、一応だよ、主婦として忙しい……忙しそうに??? してなきゃ家族の手前、居心地悪いじゃん。

 

ま、忙しくないとは言えないんだけど。

 

ということだから(どういうことだからなのかようわからんだどもが)

きょうは超短めで行くぜ。

 

じゃ、あばよぉーーーーー

えっ? ぇーーーーーーーーーーーっ⁉

 

んな、アホな。。。

 

……あの~~~、ちょっと今夜はここで中断して寝ても良い?

睡魔が~~~~~~~~~(ノД`)・゜・。

 

。。。。。(- -)zzz。。。。。。

 

ということで一夜明け、なんと、12月31日……の

もう24時前だ。

じたばたしてもしょうがない。

 

 

この一年、拙いこのブログ記事に目を通していただいたみなさま、

だいじょうぶですか⁈ 脳波に異常をきたしませんでしたか⁈

 

う~~~ん、直ぐに脳神経外科のお医者さんに診ていただいてください。

え? お正月休みで休診?

そうでした、そうでした。

お見舞い申し上げます( ̄▽ ̄)♪

きょうの教訓

眠たいときは寝ましょう

疲れたら休みましょう

人の顔色うかがうより、自分のこころをうかがいましょう

楽しく過ごしましょう

不安なことには寄り添って自分のこころを労わりましょう

今、ワクワクできれば、良き方向へ向かうでしょう

 

来年もよろしくお願いいたします。

神々の出雲の国 島根の主婦鹿之助でした。
この一年のご訪問、感謝申し上げます。
ありがとうございました。
皆様に幸多かれとお祈りいたします。

 

 

過去記事

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ブログネタについて振り返りとお詫び

こんにちは。

鹿之助です。

 

鹿之助はちょっと反省しております。

いや、結構反省しています。

 

それは何かといえば、自分が発したブログの記事内容についてです。

 

いままでいろいろな出来事や物事、また他人(身内も含む)の言動などに対し、

「それってどうよ?」

なんてエラそうなことをつぶやいてきました。

 

あるいはまた、

「そんな人いるかぁ⁈」などと言いながら、他人様のことを面白おかしくネタにもしてきました。

 

しかしここにきて、ふと思いました。

「まてよ? こんなことノー天気に不特定多数……訂正、不特定少数(読む人多くないので( ;∀;) )の世間のひとに向け、口外することか?」というより、

「ネタにして良いのか?」という善人ぶった自責の念みたいなものがよぎったんですよ。

 

わたくし鹿之助はブログ上で、「誹謗中傷は許されない」とか、「差別がどうの」「ものの言い方がどうの」とか、

そういうことを、もっともらしくまくし立ててきたと思っているのであります。

 

果ては他人様のライフスタイルにさえ口出しする始末。

 

それらの一部をこちらに

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しかしながら考えてみるに、わたし自身、誹謗中傷に値するようなことや、他人の振る舞いについてあーだこーだとダメ出しをしているんじゃないだろーか?

 

で、気付いたら知らない間に人を傷つけていたんじゃないだろーか? と……。

 

ブログでは、コメントをいただいた場合以外、リアルな反応はつかめません。

記事を読んでくださった方が、その中身をどんな風に受け止められたのか見えません。

そしてこのエラそうにしている鹿之助という人間がどこの馬の骨かも知られていません。

それをいいことに\(^o^)/調子に乗っていたんですよ、たぶん。

 

記事を読んでくださった方から

「これってわたしのことじゃないの⁈」

「え? もしかしてそんな風に思われていた⁈」

「こういう生き方じゃあダメなの⁈」

 

などと言われそうな、寝た子を起こすようなことや、神経を逆なでするようなことを平気でしてきていたんじゃないだろーか? と……。

 

余計なおせっかいの言葉を投げかける癖のある鹿之助は、過去にも似たようなことで反省した経緯があります。(懲りないやつなんですよ( ;∀;) )

 

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もっとも、私の知人たちがこのブログに出会う確率は極めて低いですから

「ちょっとあんた‼ いい加減にしてよッ!(--〆) 」

「ひとんちのこと勝手に尾ひれ付けて暴露すんじゃないわよッ!」

と言い責め立てられることがある……とは思えませんが、ないとは言い切れません……💦

責められることがあろうがなかろうが

たとえ言論の自由を掲げようが

誰かに何かを言われたわけでもないのに

 

鹿之助自身「なんだかな~ぁ」とモヤっとしていたわけなのです。

 

とまあそういうことで、今回、お詫びをしたい衝動にかられたといったところです。

 

 

あらためまして

関連各位様にこの場を借りて謝罪をいたしたいと思います。

「まことに申しわけありませんでした」m(__)m

(なんかよく聞くセリフだ( ;∀;) )

 

 

おわび

 

ふざけた軽率な文章で誠意が見られないと思います。

空気を重くしたくないのであえて今回の文体にさせていただきました。

 

もし、当方の過去のブログ記事にて、

ほんとうに何か心に引っ掛かりを感じた方がいらっしゃるのでしたら、

というより、いらっしゃると思います。

 

その方々に深くお詫びを申し上げます。

 

                     鹿之助

 

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 こういう人の思考ってどうよ?

暑中お見舞い申し上げます。


 

こんにちは。

暑さであたまがボーっとなっている鹿之助です。

あ、暑さに限らずいつもボーっとなっています。

 

 

世の中には理解不能、意味不明な方がいらっしゃいます。

そういう方のことを鹿之助的には

思考回路がとっ散らかっている人種とお呼びしています。

わたしもそうなんでしょうが。

 

過去に、「そんな人いるかぁ?」という記事を書きました。

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今回はちょっとしたおまけで「そんな人いるんだ」というところから、こういう人の頭の中ってどうよ? といったところでお送りします。

(なんかいつものごとく、またどうでもいいような内容だと思います(ーー;) )

 

友人が知人から聞いた話だそうで、身近に「そんな人いるかぁ?」な人がいるという情報をキャッチしました。

 

ではいったいどんなお人なのか、気になるところ。

 

その気になるお人というのは、ご高齢のご夫婦だそうで。

 

このご主人の方、庭の草むしりをするのに雨が何日も降らなかったために土が乾ききっており、草がなかなか抜けないといって困っていらっしゃったようです。

 

そんなある日、そのご主人は家人に、「雨が降らないから庭の雑草に水をまいたけど、それでもなかなか抜けない」というような話をされたらしいのです。

これを聞いたそのおうちの若奥さん(お嫁さん)、心の中で

「えっ⁉ 雑草に水やり?」

 

庭木とか、自家栽培の花や野菜に水を与えるのではなく、抜くという目的のためだけに草に水やり…しかも水道の蛇口から出した綺麗な新しい水……。

 

   

いっぽう、連れ合いであるお姑さんは、床に落ちていたつまようじの先ほどのゴミさえもつまみ上げ、一回一回わざわざトイレで流すというなんとも贅沢な習慣!

 

かといって、このお姑さんが日頃、掃除をしているわけでも、とりわけ綺麗好きというわけでもないそうで、むしろ家事全般苦手な方らしいのです。

 

にもかかわらず、お嫁さんが掃除をした後にそうやって目に見えるか見えないかのようなゴミを見つけてはいちいちトイレに流すんだそうです(@_@)

どんな神経じゃ⁉(~_~;)

 

あ、すみません、取り乱しました! よそのことながらつい……(~_~;)

 

そのうえ、家事は全てお嫁さんがしておられ、それはよその家庭でもあるあるですが、そのおうちでは

「いついかなるときも食事の用意は必ずしておいてもらわないと困る!」

とお舅さんは言い放ち、全てお嫁さんに任せっきりなのに、世間の人や、自分の娘たちには

「わしらはこの歳でまだ自分のことは自分でできているから人の世話にならずにすんでいて迷惑かけていない」風なことを仰っていたとか……あぁ、さいですか◦◦◦お元気で何よりです……(◎_◎;)

 

さて、ここで問題です。

 

「人の世話になっていない」というのはどこの範囲までのことを言うのでしょうか???

 

『嫁が毎日家族のために食事の支度をするのは当たり前で、それはいついかなる時であろうとそうするべきだ!』 と独自の哲学(?)を持つお舅さん。

 

このお舅さんの中では、これはもちろん人の世話になっているうちには入っていません。

食事の支度だけでなく、掃除、洗濯、通院などの送り迎え、付き添い、それらすべてお嫁さんの仕事。

それでもお舅さんたちはお嫁さんに世話になってはいない……らしいですよ( ;∀;)

 

聞くところによると、お嫁さん自身、年齢とともに身体的にキツイときもあり、

「もし自分が家事ができなくなったらこの舅夫婦はいったいどうするんだろう?」

そんな疑問を抱かれることも。


 

そのお嫁さんに対して、お舅さん曰く

「わしらが生きているうちはやってもらわないと困る」

 

……(;''∀'') む、むごい!

 

ど、どうぞ、長生き……してくださ。。。い。

 

さてさて、こういう人の思考って、なんというか、自己中心的とでも申しましょうか。

このお舅さんたちにとって、そういった日々の暮らし方は「あたり前」の日常なのでしょう。

このお舅さんの持論は必ずしもまちがってるとは言えない部分もあるかもしれません。

昭和ひと桁代生まれの方ですので、時代をさかのぼれば日本特有の封建的な思考なのかもしれません。

 

いやいやいや、それならば尚のこと、雑草を抜くだけのために水道水を惜しげもなく振りまくなんてことだってしないでしょ。

 

ひと時代、ふた時代前の人間なら、ましてや少なからず戦時中を生き抜いた人なら尚更、もったいない精神をお持ちじゃないでしょうか???

 

よそ様のお宅の、しかも、又聞きした内情を暴露するのも、私、鹿之助自身「お前それってどうよ⁉」と言われそうで気が引けますが、参考までに申し上げると、

そのお宅は水道代は若夫婦、こまめにスイッチをオフにする電気代は老夫婦のお支払いとか……(;一_一)

 

話を戻しましょう。

つまりはこのお舅さんは、感謝というものの使いどころを知らない……感謝に値するものの価値観がズレている?

お舅さんにとってのあたり前の景色の中には感謝は存在しない?

周囲に対する労いという言葉が彼の辞書には無い⁈

 

こういう方たちへの対処の処方箋は、「見なかったこと、聞こえなかったこと」に徹する……くらいしか思いつきませんね。

とは言え、気分悪いのはよ~~~~~~~~~~~くわかります。

 

されど、言われたこと、されたこと、それらに振り回されてイラつく時間は自分にプラスになるものではないですよね。

 

人は意識したものが形となって現実化するといいます。

(量子力学的にも言われています)

 

ということは、嫌なことは意識に持ってこないようにするのがよろしいようで(^^;)

気分の良いことを考えましょう。


 

鹿之助はそんな結論に至ったのでした(;''∀'')

 

なんだか趣旨が曖昧になってしまって支離滅裂な記事になりました(^^;)

頭がとっ散らかっている人種は鹿之助でした。

いつものことですのでご寛容にm(__)m

さいごまでお読みいただきありがとうございます。

 

 

 


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「ありがとう」と言われてイラっとする状況のこころの中は?

こんにちは……ふふふ( ;∀;)

悩みすぎてあたまが更におかしくなってきている鹿之助です。

こんなおかしなブログにいつもご訪問いただきありがとうございます(^▽^;)

 

    

 

そういえばちょっと気になっていたことがあるんです。

 

世間でよく「ありがとうという言葉は最強」とか言われていますよね。

「ありがとう」を言い続けると、ありがたいと思える出来事や、ひとから「ありがとう」と自分に言われるような出来事が増えるなんていうことらしいですね。

 

感謝が自分に返ってくるというんだそうで。

で、それはいいんですが、気になったのは次のこと。

 

「『ありがとう』は言う方も言われた方も気分がよくなる」と言われること。

普通に考えるとその通りでしょうね。

 

しかしわたしには微妙な感覚があるんですよ。

「ありがとう」と言われてもそれを素直に受け入れられないということが過去にありました。

 

それはちょっと昔の話になるんですが、同じ職場に、何かにつけひんぱんに「ありがとう」という同僚がいたのです。

 

普段のあたり前のわたし自身がすべき作業を、ふつうにやり終えただけなのに、なぜかその同僚がわたしに「ありがとう」と言うんです。

そんなことがたびたびありました。

 

わたしとしては「え?」ですよ。

意味わかります?

 

その同僚(仮名 助さん)は口癖なのか、性格なのか、穏やかな人だったので常に相手を尊重して言葉を発する人だったためか、ことあるごとに「ありがとう」と言っていました。

 

でもね、こちらとしてはあまりいい気分にはなれなかったのです。

その理由は

 

わたしはわたしがやって差し支えない仕事であるからやったわけで、そしてそれは職場での当たり前の作業なんです。

 

ということは、わたしは職場のため、つまり会社のためにしているんですよね。

当然お給料は会社から頂いている。

 

助さんのためにやってるんじゃないと心の中で感じたんですよね。

「あなたからお給料をいただいているわけではない」そう心の中の私が言うわけですよ。

 

あなたは上司ではなく、年下の同僚。

なんで同僚のあなたが偉そうにわたしに「ありがとう」って言うわけ?

 

 

ヤケクソに怒り狂う男性

 

そんな、子どもじみた心の狭い感覚でいたわけです。

「ここはあなたが運営している会社ではないでしょ?」って、そうとうひねくれた捉え方をしてしまいました。

 

でも、今になって考えてみると自分も気が付かないうちに人に対して同じような状況で

「ありがとう」と言っていたかもしれません。

 

別に上から目線とか、そういう偉そうな気持ちで言ったのでなく、ほんと自然に何気なく口をついて出て来ていたかもしれません。

 

そう思うと、ことあるごとに「ありがとう」と言っていたあの助さんも、特に意味はなく自然に出てくる言葉だったのかもしれません。

 

 

ビジネスシーンでの握手

 

一般に「ありがとう」の言霊は一番大きな波動を持つ言葉で、ふだんから口癖にすると良いといいます。

 

そんな大きなパワーを持つ言葉に対しイラつくとは、わたしはなんてちっちゃな人間だろう、なんて波動の低い人間だろうと感じました。

 

こういう人間て、こんなときに自己肯定感の低さが現れるのかな?

そんな風に感じてしまうのは自己肯定感というものが低いからなのかな?

そんな風に思ったのです。

 

つまり、自分に自信が無いから上から目線で言われたような嫌な気分になったのかもしれません。

別の言い方をするなら、変なねじ曲がったプライドがあったのかもしれません。

心の中で

(あなた、そんなに私より偉いの?)みたいな……。

 

 

宇宙で最強の言霊と言われている「ありがとう」なわけですが、私のように言われてイラっとする人がいるのだとしたら(滅多にいないのでしょうが)それは受け取る側の問題で、受け取り方ですよね。

 

やっぱり普段から助さんのように口に出していれば、のちのちその人にありがたい出来事や、「ありがとう」と言われるような出来事が増えるのかもしれません。

 

でも、相手にイラっとさせてしまうことがあるというのも考えものですね。

 

ただ、「ありがとう」という言葉を聞くと、今はもうお会いすることもなくなったその後の助さんが、「ありがとう」を口癖のように言い続けてきた先で、現実的にどのくらい幸せを感じて生きていけているのかな? と、ふと思ったりします。

 

どうか助さんに幸多かれと祈ります。

 

そして皆さまにも幸多かれとお祈り申し上げます。

 

 

とりとめのないつぶやきにお付き合いいただきまして

ありがとうございました」……(^▽^;)

自己肯定感の低い鹿之助でした。

 

気になる方はクリックしてみてくださいね

 

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波動と潜在意識についてのつぶやき

いろいろと、あたまの中がとっちらかっていたら4月も残りわずか。

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ももやらさくらやらなんやらかんやら春らんまん・・・が遠ざかっていった Photo by shikanosuke

 

季節は変わりつつあります。

 

お久しぶりです、鹿之助です。

桜も葉桜が多くなりました。

(写真は数週間前の様子です)

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しだれざくらやらなんやらかんやら……はっ、あでやか♡ Photo by shikanosuke

 

今月の初め、ぐうぜん見頃になっていた菜の花畑に遭遇しました。

いまはもう花の盛りは終ったことでしょう。

 

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す! すごいでしょ⁈ Photo by shikanosuke

四季の移ろいははかないものです。

 

人間もあっという間に移ろって

気づけばあんらまあ! わたしこんな歳になってた? なんてね(^^;)

 

歳ばっかり重ねて中身は全く大人ではない気がしてきますね。

半世紀以上生きていても(半世紀どころか…( ;∀;) )頭の中は頼りないものです。

 

もっと大人にならないと、このまま年輪のない見かけだけのおばあさんになってしまいそうです。

 

いま本屋さんに行くとありとあらゆる自己啓発の書籍が出ていて(イマに始まったことではないのですがね)

とくに潜在意識とか、引き寄せ、宇宙の法則てきなものなどなど、成功法則みたいなものいっぱい出てますね。

そういうものに救いを求めようとする人が多いということなんでしょうか。


ところで、潜在意識とか引き寄せって、宇宙規模ですべてエネルギーのなせる業であるらしいんですね。

それらは特異な世界の一部の人たちの特殊な能力云々とかではなく、

あらゆるものの波動がカギになっているといいます。

 

う~~~ん、漢字をいっぱい使うとなにやら難し気な内容と思われそうでイヤなんだけれども……。

 

わたくし鹿之助はべつに宇宙理論とか、スピリチュアル系のことかなんとか、そんな感じの分野に詳しいわけでもなく、深く勉強しているわけでもありません。

 

でも、素人なりになんとなく受け入れられるお話につい耳がぴくっとそっちの方に引っぱられることはありまして、

「なぬ? 宇宙の規則だから決ってるんだと?」

なんていうようなものに喰らいついてしまうのであります。

 

けっきょくその規則とやらの内容を簡単に言ってしまうと、

人は自分の想像できるものしか目の前に現れないということで、裏返せば、想像できるものであれば目の前に現実として現すことができる(引き寄せができる)……ということらしい。

 

ただぁ! ただぁ! たったそれだけのことだけれども、それだけのことが奥が深くて一筋縄ではいかないそうですよ。

 

で、そこでカギになるという波動というものが登場するわけです。

 

超簡単に言うと気分とでもいうんでしょうか。

 

気分たる波動(気分とは微妙に違うかもしれないけど)が高くて強ければ思いを現実化へと引き寄せられるとのこと。

(高いと強いのちがいがちょっとわかりづらいんだな)

 

しかし気分というやつはすごく波があるんですよね。

なかなか気分の良さを維持するのは困難です。

ましてや何か悩み事などを抱えていたりすると尚更です。

 

よく言われているのが、そんなときは自分のこころに寄り添ってその不安な気持ちなどを理解し、同調してあげることだと。

 

そのうえで「でも大丈夫だよ、あなたは価値ある人間だよ」

とかなんとか言いくるめて((◎_◎;) )それとなくポジティブに変換していくのだとか。

 

そんな簡単にポジティブになれないでしょって気はするんですがね。

でも、とりあえずはその時はほんのちょっと救われたような気がすることもあるかもしれません。

 

まわりにだれも励ましてくれる人、力になってくれる人、相談できる人がいなかったりすると自分しかいないんですものね。

いちばんの味方は自分だということを頭に置くのが大事らしいですよ。

 

ひとは気分が滅入って落ち込めば落ち込むほど波動が下がって悪循環に陥るようです。

落ち込んでいる時にたのしいこと、うれしいこと、ハッピーなことなんてなかなか考えられないんですが、だからといっていつまでもその悩みに焦点を当ててばかりいると負のループに巻き込まれてしまいます。

 

なので一瞬でも気を紛らすことが大切だといいます。

その一瞬があるだけでもほんのすこし負のループから抜け出す糸口になることもあるようです。

 

ずっと悲観的なことを思い煩っていると更にその状況を引き寄せるといいますから、怖いですねえ(*_*; 怖ろしいですねえ(◎_◎;) 近寄りたくないですねえ( ;∀;) 

 

そうならないためにも自分を慰め、自分をおだてること(?)も大切なんだそうですよ。

でもその時だいじなことは、その思い、ことば、のさいごは必ず前向きなことばであったり、明るいことばであったり、「希望があるよ」と思えることばをいうということ。

 

それが人間の深いところにある潜在意識に入っていくからです。

希望を持ちたいことばをくり返し潜在意識にうえつけることが大事なんです。

そうすると脳がかんちがいして望む出来事を引き寄せてくるといいます……ホンマかいな?

 

ふ~~む、ならば、見かけだけはおばあさんで中身はこどもってのも

「わたしは若い! わたしは輝いている! わたしにできることはまだまだある!」

と、言いきかせたらいいんじゃね?

ちょっとムリがある気もしないではないが(◎_◎;)

 

さくらだってまた来年きれいな花を咲かせてくれます。

あなたもこの先まだまだ何回もきれいな花を咲かすことはできるんです。

 

以前、とても積雪が多く気温もかなり低かった冬のおわりに

ふと草原に花開いていた紅梅に目が留まりました。

 

「あんなに寒かったのに、あんなに雪に埋もれていたのに、こうやってまたしっかりと綺麗に開花するってすごいなあ、この子(梅)」

素直にそんなことを思いました。

 

あの寒さの中でじっと耐え、いち早く春を告げに花を開いている。

その健気さと強さがなんかみょうにジンときました。

 

わたしたち人間も辛いことあってもきっと春は来るんだって

そんな風に救われた気がしたひとときでした。

 

あ、いかん、鹿之助らしくないぞ!

シリアスな思いは鹿之助には向いていないのでそろそろ撤退します( ;∀;)

 

なんだかとりとめのないお話になってしまいました。

では、今日の講義はこれにておしまい。

 

波動を上げたい鹿之助でした。

お付き合いありがとうございました。

 

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ウクライナへのロシア問題 正気の沙汰とは思えない

ウクライナとロシア、ほんとにひどい情勢ですよぉ。

ロシアのしていること、まさに正気の沙汰とは思えませんよ。

 

オリンピックやパラリンピックをやったけど、平和の象徴ですよね? オリンピックやパラリンピックって。

 

それなのに一方では戦争……って、なんだかなぁ~(ーー;)


ウクライナ国旗色と白い鳩の写真

 

あ、こんにちは、鹿之助です。

 

なんかおかしくないですか?

去年から今年にかけてオリンピックイヤーですよ。

もちろん、オリンピックイヤーだから戦争はダメと言っているのではありません。

いかなる時でも戦争はダメってことぐらい子供でも知ってます。

 

ただね、片や世界中のアスリートが集まってスポーツで平和的に競っている。

 

その一方では国と国が武器で戦い、住むところも奪われ、

多くの罪のない人が命さえも奪われている状況ってほんとになんなの⁈

 

 

戦争?

あり得ない。

西暦2022年ですよ。

 

AIやリモート、オンライン

そんな時代になってもまだ戦争なんて、わけわかりません。

 

時代錯誤です。

 

でも悲しいことに現実なんですよね。

 

ウクライナの国民はもとより、海外で暮らしておられるロシアの国民も気の毒でなりませんよ。

 

肩身の狭い思いをされていると思います。

 

以前、日本在住のロシア国籍の方が

「ごめんなさい」なんてSNSに投稿されていました。

 

深刻な悩みをネットで相談する女性

 

でも、私たちは知っています。

ロシアの一般国民に責任はないこと、何も悪くはないことを。

 

ロシア国内では自国にとって都合の悪いことは国民への情報は偽りのものであるような話もありますね。

TVでウソ言ってるみたいですよ、ホントか知らんけど( ;∀;)

どうせはあらゆる方面から実状が明らかになることでしょうに。

 

(追記)

今日、この記事を更新したあと偶然、NHKニュースでロシアの国営テレビのニュース報道の最中、反戦の思いや国の公営報道にウソがあると訴える女性が乱入したことが報じられました。

 

国のトップの方々のせいで、ロシア人であるということだけで後ろめたさや罪悪感を感じている人もあると鹿之助は思うわけです。

 

一方で、ウクライナでは、何の罪もない市民が、国民が、こどもたちが命を絶たれて、なんでそんなことにならなきゃいけないのかって話ですよね!

それをシラッとした顔で平然を装って隣の国から見ている。

ほんとに許せないですよ!

極悪非道です!

 

なんだか知らないけど、ロシアのあのお偉い方はそのなんだかわからないものに何かムキになっていらっしゃるんじゃないですかねぇ?

 

両国の国民にとってはとんでもない迷惑ですよ!

でも、まかりまちがえば、ロシアが最後の手段(核)を投じたら……それを思うと他国はヘタに手出しもできない?

 

それはそれでとてつもなく怖ろしい結果を招きますもんね(◎ ◎;)

 

ウクライナのご婦人が訴えていました。

「なんで世界は私たちを助けてくれないのっ⁈」

 

胸に刺さりましたね。

「ごめんなさい、ごめんなさい」って誤りたくなりましたよ。

 

どうにかしてあげたい、でもなす術が見つからない。

辛いですよね。

何らかの支援ならできるとしても、戦争を終結させることは私たち一般人には困難なことです。

 

ハラハラしたりイライラしたりしながら動向をうかがっているよりほかにないのは不甲斐ないことです。

 

罪のないこどもたちや国民が巻き込まれ犠牲となっている現状がいたたまれません。

 

ロシアのあの方は血が通っていないのでしょうか?(ーー;)

人間ではないのでしょうか???(◎_◎;)

弱肉強食を生きる獰猛な獣なのでしょうか???\(◎o◎)/!

 

 

冬季パラリンピックも終わりました。

 

ウクライナの選手団は目覚ましい活躍をされたようです。


f:id:sikanosuke6:20220315110241p:plain

 

でも、どうなんでしょう?

きっと素直に喜べていないかもしれませんよね?

母国にいる家族や知人のことが気にかかってもいたでしょう。

 

母国の現状を思えば帰国も辛かったんじゃないでしょうか。

ウクライナ・キエフの美しい街並みの写真

通常のウクライナ キエフの街並み

あああああああああ~~~~~~~~~~~‼ 

なんとかならないの~~~ォ⁈

だれかなんとかして~~~~~~~~~~~‼

 

かみさま~~~~~~~~~~~~~~~~‼

 

あ、神様で思い出しました!

最高神の「あめのみなかぬし」(天之御中主)さま!

お力をウクライナに届けてください!

 

 

「あめのみなかぬし」さまをご存じない方はこちら↓に少し書いています。

koukishin8.com

 

なにはともあれ、人の命を自国の私利私欲のために、たやすく奪う権利など誰にもありません。

戦争という名目で犯罪を犯しているあの人が絶対許せません!

 

いま一番鹿之助が許せないと感じていることについてボヤいてみました。

お付き合いありがとうございました。

 

 


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銀メダル藤沢五月「こんなに悔しい表彰台ってあるんだな」の涙に共感

鹿之助です。

 

冬季北京オリンピックが閉幕しました。

 

いろんなドラマがあって、圧倒されたり、ただただ見入ってしまったり、悔しさが痛いほど感じられたり。

 

 

フィギュアスケートの練習をする女の子7の写真

 

周囲の我々には「この選手はきっと素晴らしい結果を見せてくれる」

そんな、ある意味他人勝手な思いがあったかもしれません。

 

でもそんな思いが選手にとって重くのしかかってしまっていた部分もあったのでしょうね。

もちろん選手自体も自分自身に「やれる」という覚悟を持って挑んだことは間違いないでしょうけれど。

 

オリンピックに出場した選手たちのここまでの道のりは華々しさの裏にある測り知れない努力や汗や涙や焦り。

落ち込んだこともあったかもしれない。

でもそんないろんなことを乗り越えて手にしたオリンピック出場。

 

周りの期待の大きさに持ち合わせているはずの力が十分に発揮できなかった人もいたかもしれません。

思わぬハプニングに見舞われ悔しい思いをされた選手もいました。

 

勝って当たり前そんなふうに思われているんだろうと勝手に自分自身を追い込んだ選手もいたのではないでしょうか。

 

 

あんなにこの日を目指して真剣に頑張ってきたのに……。

そんなことを思うと、本当にすべての選手の皆さんに喝采を送りたいですよね。

 

女子カーリング、ロコソラーレへの期待も大きなものだったように思います。

前回の平昌オリンピックで銅メダルを勝ち取り世間では一気に彼女たちへの関心が高まりました。

 

今回、ロコソラーレのメダルは前回より一つ上の銀。

 

けれども彼女たちにとってみれば前回より悔しいメダルの色だったのはすごくわかるような気がします。

 

昨年の夏季東京オリンピックのとき感じたことがまた甦りました。

 

sikanosuke.com

 

勝って得るメダルと

負けて得るメダル

「こんなに悔しい表彰台ってあるんだな」

表彰台の上でのこの大きな違いに藤沢五月選手の言葉が痛いです。

 

でも、私たちはカーリングだけでなく、全ての競技の選手の方々にたくさんの感動をいただいたことは言うまでもありません。

 

メダルを獲るということはオリンピックに出場するにあたってそこを目指すのは当然ですが、私たち外部のものからすれば、メダル獲得だけが賞賛の的ではありません。

 

平昌オリンピックからの4年間の努力は報われたと思います。

そしてまた4年後のオリンピックへの大きな力になったことと思います。

 

選手の皆さんの素晴らしい活躍を心から賞賛します。

 

そして何よりも皆さんの笑顔がとても素敵でしたし、「良かった」って思うことができました。

大きな拍手を送りたいです。

 

 

選手の皆さん、お疲れさまでした。

そしてありきたりですが、感動をありがとうございました!

 

 

 


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健常者であることは「たまたまそうであった」という悟り

いよいよ冬季北京オリンピックでまたにぎわいますね。

ついこの前東京オリンピックやパラリンピックが終わったと思っていたのですけどね(^▽^;)

スケート靴を履いた足11の写真

 

2021の東京五輪で感じたのは、

パラリンピックの存在感というか、注目度がなんかいままでより高くなったんじゃないかということです。

 

 

夜明けとゴールシーンの写真

 

 

ごあいさつが遅れました。

こんにちは、ご縁の出雲の国、島根の鹿之助です。

 

 

昨年パラリンピック競技で、選手の方たちの素晴らしいパフォーマンスを観て

「オリンピック選手と競ったらパラリンピック選手の圧勝かも」

そんな風に感じた競技もありました。

 

車いすのバスケットボールの試合など障害のあるなし関係なくプレーするのもありじゃない? なんて思ったりして……。

 

車いすを扱うことに慣れていない障害のない人にはなかなか難しいだろうなということは察しがつきます……そんなことをぼんやり思っている鹿之助です。

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もくじ

 

 

テーマ『健常者であることは「たまたまそうであった」という悟り』

 

【はじめに】

 

さてさてなんだかオリンピックの話に流されてしまいましたが、今回は

 

健常者であることは「たまたま自分はそうであった」という悟りのようなものについてお話をしていこうと思います。

(悟りなんてエラそうですが、ただの感想みたいなものです)

 

ちょっと回りくどいような言い回しになりましたが

 

ふと最近自分なりに解釈をしたこと、

それは体に関する「障害」といわれる状況についてです。

 

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【少数民族】

 

最近耳に止まったのが、体に障害のある方が

「自分が抱えているものが障害だとは思っていなくて、少数民族のようなものだ」

とおっしゃった言葉です。

素直になるほどと頷けました。

 

たしかに障害を抱えておられる人と、そうでない人の割合からすると

きっとそうでない人のほうが人口的に多くを占めているのは明らかでしょう。

 

これまでの社会は、障害のない人を普通ととらえ、

その人たちを中心として造られている社会の環境というほうが多かったと思えます。

 

 

【ふつうってなに?】

 

では、普通ってなに? という話です。

 

健常者を主体に普通という基準?

 

普通って形のない捉えどころのないものです。

 

 

「五体満足なら」とか、「普通に元気に生まれてきてくれたら、それでいい」

なんていう言葉を言ったりしますが、

 

まてよ、 

五体満足ではなかったらダメ?

それは普通とはちがう? 

という疑問が湧きます。

 

もちろん気持ちはよくわかります。

でも、何かしらの障害を持って産まれてくる人もたくさんいるわけで、

だからといって疎外したりしないでしょう。

 

世の中は一般に、「健常者」といわれる人間を中心に物事が進められていくことの方が多いです。

それはそういう人間を普通ととらえられているからだと思います。

 

そして障害を持たないで今生きている私たちは自分を普通ととらえていると思います。

 

けれどもそれは普通でなく、たまたまだったんじゃないかと思いました。

 

たまたま、あたまがあって

音がきこえて

まわりのものが見えて

手足があって

声を出せて

すこしづつ大きくなって

 

そんな人間ができた。

たまたまこんな人間にできあがったのです。

 

 

たまたま多くの人と同じように産まれ、

不自由な部分や不便を感じることもなく、

同じように成長してきた。

 

それで「良かった」とか、「自分の体に感謝しましょう」とかよく言われます。

そんな当たり前に思えることに、普通に思えることに、感謝をしましょうと言われます。

 

え?

じゃあ、そうでなかったら感謝できないこと?

そうでなかったらその命の体は良くないこと?

存在価値のないもの?

 

 

健康であることを、障害のないことを「ふつう」というならば

 

それさえすでに偏見的な言い方に感じるのはおかしいですか?

 

たまたま障害のない体に産まれてきてみたらその他おおぜいだった、そういうご縁だった……って変ですか?

 

障害があっても

五体満足でなかったにしても

おなじ命であることは間違いないし、大切であるのも同じだし。

 

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Photo by shikanosuke

【五体が揃っていなければ満足じゃない?】

 

そもそも五体満足という言葉すら最近は抵抗を感じる方もいます。

「何の障害もなければ満足」という表現に違和感を感じられるのだと思います。

 

つまりそれが「ふつう」という言葉を勝手に定義されてしまっていることによるものではないでしょうか。

 

こういうことを言うと、きれいごとだといわれると思います。

はい、確かにきれいごと。

 

そして身内に障害のある人がいて、ケアをしながら生活をしていて

何かしらの苦労をされている方からすれば

 

「大変さなど何もわからないくせに、勝手なことを言わないでほしい!」

 

そんなふうに言われると思います。

 

 

ですが、人口の多くを占めている障害のほとんどない人間は、

 

たまたまこういう体で産まれてきたのであって

 

もしかしたら腕が一本しかなかったかもしれないし

耳が聞こえなかったかもしれない。

目が見えなかったかもしれない。

あるいはひょっとして目が3つあったかもしれない。

 

そういうのって五体満足とは言わないのですよね?

でも、だからと言って必ずしも満足していないとは言い切れないってことはないのでしょうか?

 

障害があっても、たとえ不便や不自由は感じても、自分の人生に満足している人だっておられるはずです。

五体が揃っていなくても、五体が健全ではないにしても、満足だとおっしゃる方、おられると思います……ちがう?

 

 

【健常者であることは「たまたま」その他おおぜいであった】

 

健康な体であることは、

障害のない体に産まれてきたことにもちろん感謝はしても、

 

障害のなかったことは

しつこいようですが

たまたまそういうご縁だったんだと思います。

 

冒頭でご紹介したように、何かしらの障害を持っていらっしゃる方はそれが人口分布でみると少数民族なだけなんです。

 

たまたまそうでない人の方が多かったんです。

 

でもみんな、この同じ社会を形成:している同じ地球人なのです。

 

私、鹿之助は

たまたま目がふたつあり、耳が顔の左右にあって、象と同じように太い足があり、

たまたま象とは違って手と足で2本づつに分かれていますが、

たまたまその2本だけで歩くことができたのです。

 

こんな人間より、体にすこし、もしくはたくさんちがう部分を持っておられる方のほうが人数的に少ないだけなんです。

 

 

可愛らしい花を咲かせる絶滅危惧種の二ホンタンポポ
借財写真pakutaso 今では珍しい日本タンポポ

 

おわりに

 

この社会は多い人のためのものではなく

ひとりひとりのものであり

みんなのものであるといいます。

 

本当にそう思っているなら、もっと不便を感じている人の不便を減らしてほしいです。

 

 

障害があろうとなかろうと、みんなそれぞれ「たまたまそういうご縁」だったのではないですか?

 

それゆえ、この世の中は健常者のためにあるのではなく、

産まれてきた人、動物、植物などあらゆる全てのもののためにあるのだということを、原点に還って思い巡らすことがたまにはあっても……いいんじゃない?

 

背伸びして周りを警戒するオグロプレーリードッグ

 

と、鹿之助は思ったわけですが、そこは賛否両論、あると思います。

 

そう、体も考えも世の中さまざまな人で成り立っています。

たまたまこんなことをつぶやく人間もいます。

 

以上、異議ありと思われる方、どうか寛大な心でご容赦ください。

 

さいごまでお付き合いありがとうございました。

 

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『どじょうすくい踊り』と新年のご挨拶を無理やり関連付けた記事

 

あけましておめでとうございます。

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Photo by shikanosuke

神々の出雲の国島根の主婦、鹿之助です。

いつもお立ち寄りいただきありがとうございます。

 

これからもマイペースで、でも、ず~~~っと続けていこうと思っています。

どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

 

今回はとりあえず忘れられたくないので、年始のご挨拶だけでもと思い慌てて記事作成に向かいました。

が、笑いを届けたい鹿之助は、今笑いのネタを捜索中です。

 

ありがたいことに鹿之助の周辺では比較的穏やかな年の初めを迎えさせていただきました。

しか~し! 逆にそのぶん、な~んも刺激のない空気のような正月を過ごしちょりますだ。

 

なので笑いのネタさえ見つかりません。

 

と、いうことで、只今からネタ探しに(体がなまっているので少しは動かないと)

ブラっとパトロールに出かけたいと思います。

……デヘッ( ;∀;)車🚗で……💦

 

家族はおひるねの真っ最中

ではちょっくら行ってきます。🚗===3

 

…………。

あれからおおよそ1時間後……。

 

ただいま。

帰りました。

なんの収穫も得ずして( ;∀;)

 

強いていうなら、地元の何のための建物かは存じませぬが、その建物の上に載っかってるたいそう大きなタンクのようなものに、安来市名物「どじょうすくい」のオジさんの姿がドド~ンと描かれているのですが、

なんと、ぺらう!

なにゆえ?

 

今に始まったことではなく、ずーッと前からその存在は知っていました。

しかし今日のパトロール(?)でも、顔が(目鼻口)が描かれていないことの謎は結局解明できませんでした。

その写真を撮りたかったのですが、🚗=3 運転中。止まれない!

ムリじゃん!

(🚗で出掛けたせいですね)

 

残念です。お見せしたかったのに( ;∀;)

 

でも、きっとあれは顔を描いたとしてもけして可愛くはないと思います???想像の限りでは(^^;)

 

 

どじょうすくい踊りはご存じの方も多いと思いますが、ここはその地元になります。

(……不本意ながら鹿之助の居住地がバレてしまった!)

 

どじょうすくい踊り

どじょうすくい踊りというのは、民謡の安来節に合わせて振り付けられているユニークな踊りです。

これは男踊りと女踊りがあり、特に男踊りはひょうきんな風体や動きで結構全国的に知られているようです。

(ね!知ってるでしょ?)

 

川でどじょうをつかまえ、びく(とった魚などを入れるカゴ)に入れニンマリして腰を上下に揺らしながら戻っていくというストーリー仕立ての笑える踊りです。

 

どじょう掬いのキャラクターエッサくんです↓

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ツッコミどころ満載年齢不詳(^▽^;) Photo by shikanosuke

どじょうすくい体験道場

日本庭園で知られる足立美術館のすぐ近くに、どじょうすくい踊りを学べる体験道場もあります。

芸能人の方も結構来県されたとき、ここで体験されたようですよ。

こちらのほうは3日前までの予約が必要のようで、費用もかかります。

 

 正式名称 

安来節屋(どじょうすくい体験道場)

・道場体験所要時間 約40分

・体験料金     おひとり5000円

          2名様以上お1人増えるごとに+1000円          

・体験時間      9時~17時

・電話        0854-28-6788  

・定休日       不定休

(2022年1月17日 料金・定休日について、誤表記があったため訂正いたしました。
正しいものに差し替えています。

 

ホームページURL http://www.toraz.jp/yasugibushi-ya

 

楽しみながらもかなり本格的に習得できるみたいですよ(*^-^*)

新年会やイベントの出し物としてお披露目してくださいな

DVDもあります。

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まとめ

さてさて今回は、ひょんなことからどじょうすくい踊りの情報をざっとご紹介いたしました。

 

またこのエリアには、「鷺の湯」(さぎのゆ)温泉があり、数軒ではありますがお宿もあります。お泊り旅行のプランとしても安心です。

 

(関連記事サイト↓)

koukishin8.com

koukishin8.com

山陰、島根の方へお越しの際のご参考に多少でもなればうれしいです

 

……ひとつ、鹿之助には腑に落ちないことが。

 

どじょうすくい踊りのおじさんと、全国的に知られている「ひょっとこ」となんか似ていて誤解を招くんではないか? という不安というか、謎。

 

どじょうすくい踊りのおじさんは、ひょっとこ」の人ではありません、あしからず。

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というわけで、ほんの新年のご挨拶がとんでもなく長くなりました。

 

こんなしょうもない鹿之助ですが、再度、本年もよろしくお願いを申し上げ、ここら辺りで終わりたいと思います。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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「好きなこと」からがいい、どんな人も熱意を持って魂を込めれば開花する

こんにちは。

ボケとツッコミ、両党使いの鹿之助です。

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Photo by shikanosuke

 

先日、地方ケーブルTVの番組に、地元で石材店を経営されている石屋さんが紹介されました。

 

彼は過去(20代ごろ?)に技能オリンピックでなんと! 金メダルを取得したほどの優れた技能を持つ石工(いしく)職人です。

 

彼の技能は国内外で高い評価を得ており、要請があれば海外にも出向き、日本庭園の石庭のプロデュースなどを手掛けられることさえあるそうです。

すごいですね~(@_@)

先日の放送では、庭石造りの研修の講師として、全国から来られた何名かの石工職人さんや庭師さんなどに、技術指導をしておられるようすが放映されました。

 

で、わたしがなぜ、彼の話題をとりあげたか?

 

いえね、にんげんはすごい! 変われるんだ! と思いまして。(いまさら?)

 

我々、にんげんというのは、思入れのあることに対してはここまで自分を成長させることができる生き物なんだなぁと、あらためて感じたからです。

 

飛べない人でも飛べるんだと……??? なんかちがうような気がするが……。

いえ、ほんとうです。

現に、ライト兄弟はにんげんも飛べることを実証しました(ーー;)

それもなんか主旨がちがう気が……。

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話が脱線しました。

 

その石工職人である彼、じつはわたしの中学のときの1年後輩でした。

田舎の学校でしたから生徒数も少なく、

なので、同級生だけでなく、先輩や後輩の顔や名前、ある程度はお互い知っていました。

 

彼,Tさん(以後Tくんと呼びます)は、お父さんからゆずり受けた石材店を継いでおられるのですが、そんなTくんの中学時代の印象はわたしの頭に強く残っています。

 

なんで印象に残っているか?

 

それは

 

母校きってのヤンチャ……訂正(^^;)

元気が有り余っていたのか

いつも先生に怒鳴られていたような……。

そういう意味で、存在感満載の生徒だったからです。

 

なにしろTくん、遅刻の常習犯でした。

 

「こらーっ‼ おまえまた遅刻かぁーーーっ⁉」

お寺の住職であった英語の先生に毎日のようにこんなかんじで。

 

その遅刻常習犯であるTくんの当時の家、

学校からそう遠くはなかったのです。

きっとダレよりも近かったかも。

 

たぶん生徒の中でいちばん近かったかも。

 

ふっ(~_~;) (意味深な含み笑い)

どちらかと言えば近かったんです。

 

ぐふっ(~_~;)

とても近いんです。

 

ホントに近いんです!

 

なんなら

ホップ、ステップ、ジャンプ!

で行ける距離

\(◎o◎)/!

 

ジャンプするビジネスマン

Tくんが飛んだ。

 

じつは、Tくんの家の庭の石垣から1.1m(しらんけど適当 微妙)ほど飛び降りたら

校舎の昇降口真ん前……みたいな💦

ほ~らごらんなさい、やっぱりにんげん飛べるんだ!

……(ーー;)

 

まるでTくんの家の敷地内に学校がある(逆?)

 

Tくんはいつもその石垣を飛び降りて(たぶん)

ハイ! 到着

 

ハイ、残念! 遅刻でぇ~す( ̄▽ ̄)

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(またまた久々の登場! おまえ、またちこくしたなっ⁉ 常習犯、逮捕だ!

近いがゆえの遅刻?……わからなくもない。

すぐそこという安心感?

 

あのころ彼はそんな自分をどんな風にとらえていたのでしょうか?

そしてじゅうぶんおとなになった今、

あのころのことをどんな風にとらえているのでしょう?

 

そんな、ある意味伝説の彼が、今はホントに立派になって

日本の伝統や文化、技術、そういったものを守りゆくことの重要性を自らが感じているということを、インタビューで答えていました。

(……ちこくばっかして、いっつも怒鳴られていたTくんが……(;''∀'')えらくなったなぁ )

 

よく、自分にはナンの才能も取り柄もないという人がいます。

わたしもそうです。

 

でもなにかしら興味のあること、好きなことならどうでしょう?

なにかありませんか?

 

あるいは好きだからやってみたいけど

こんなこと、なんの役にもたたないだろうなとか、

家族や周囲の人に反対されるだろうなとか、

じぶんにはムリだろうなとか

そんなこと思う人たくさんいると思います。

 

好きなことならがまんしないで突き進んでみたほうがぜったい、いい。

 

やって後悔するより

やらずに後悔することの方が

後悔の度合いがだんぜん大きいと言いますものね。

 

自分で決めて、えらんで、それで仮に上手くいかなかったとすれば

それは自己責任で周囲の人を恨むことはできない。

 

でも、逆に言うと、人を恨むきもちを持たずにすむ。

 

と同時にそれは失敗ではなく

上手くいかない方法をひとつ見つけただけ……(と、むかしのエライ人たちが言ってました)

 

       f:id:sikanosuke6:20211207154805j:plain

 

子どものころから石を扱うことに興味を覚えたTくん。

勉強はあまり好きではなかったらしいそうです。

 

石工職人であった父親の背中を見て育ち、石に興味を惹かれ、そして今の彼がある。

 

こんどは自分が、若き世代へバトンタッチできるよう、

後継者への育成に励んでいる。

 

その姿は輝いて見え

あの、やんちゃ坊主だったTくんはすでに、りっぱな石工職人のTさんでした。

 

いや~、人間、好きなことに魂を込めて集中すれば、じぶんの世界が変わるんですね。

学歴とか、国籍とか、人種、年齢、性別かんけいありません。

 

人は輝くことができるんだということを間近で感じることができました。

 

何かしら情熱をこめられるもの、挑戦したいもの

そんなものをこころに抱いているならば

 

どんな人であろうと、どんな過去があろうと

それらを「できない」という理由にしてはいけません。

 

むしろ、子どものころ「あんらまぁ~!」と、まわりからあきれられた人こそ、後に大物になっていたりするんですよね。

 

自分自身の思い込みで判断して

「自分にはムリ」

「自分の住む世界ではない」

など、勝手に決めつけてしまうことありますよね。

 

それが思い込み。

幻覚、妄想。

おなじ妄想するなら、なにかできる自分を妄想しましょうよ。

 

ほんとうに好きなことなら、いろんな努力が必要でも、そんなにつらくは感じないと思います。

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あきらめなければ

熱意と魂で大輪の花を咲かせることができる! ・・・かもしれないです。

(※本記事に示された表現や再現性には個人差があり、必ずしも利益や効果を保証したものではございません( ;∀;)詐欺かよっ⁉

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

その熱意であなたに幸運が宿ります☆

先ずは気になっているものからはじめてみませんか?

あたらしい世界が広がります。

あたらしい自分に出会えます。

鹿之助はウソはつきません。

大ボラはつきます( ̄▽ ̄)♪

ダメじゃん!

 

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