(2020年3月に出した記事です)
私が通っていた中学校の廊下の窓から
1km弱先の、川を挟んだ向こうに
大きな満開のさくらと
ポプラの木が3本そびえ立っているのが見えていました。
それは私の生家のさくらと、ポプラでした。
そのポプラの木は幹が太く、とても高くて
遠くからでもよく見えました。
(↑借財写真 記事内のポプラとは異なります)
私は、様々の果樹やそのほかの樹木、花々などに囲まれた環境の家で育ちました。
樹齢数百年のさくら、あるいは八重桜、モクレン、紅梅、白梅、桃、みかん、栗、梨、
びわ、柿、イチジク、葡萄etc……いろいろなものがありました。
そうそう、白樺の木もありました。
(借財写真)
国語の教科書で白樺が出てきたとき、
白樺は比較的寒い地域を好むため、
私の住んでいた地域では、本物の白樺の木を見たことのある生徒はほぼいなく、
私はわが家の白樺の木の皮を少しだけめくりとって
学校へ持って行き、先生や友達に見せてあげた記憶があります。
白樺は横方向にわりと簡単に、パラパラと薄い皮がはがれるので
ときどきはがして遊んだのを覚えています。
今、世界中がコロナウイルスの影響でとてもピリピリしています。
外出制限のないところでは
逆に、屋内より屋外の公園など、開け放たれた空間に
人々が出掛けるようにもなったりしています。
近年子どもたちは、塾や、部活、進学のために家庭でも部屋にこもって勉強、
あるいは、遊ぶにも家の中でゲームをするなどが多いのではないでしょうか。
そんな生活環境に、ひと昔前の子どもたちとの違いを感じます。
子どもたちが外で遊ぶ姿はあまり見かけなくなりました。
ですが、この度の状況で
天候さえ良ければ、子どもたちは、あるいは親子連れで
屋外で過ごしてみるという時間を得たのです。
郊外の自然の中で水を得た魚のように
みな、なんだか生き返ったような
潤った表情をしているように思えます。
それは、コロナ騒ぎからもたらされた現象なのですが、
そろそろみんな気付き始めていること
それは「原点に返りなさい」と。
見えざるところ(神?)からの深い警告のような気がします。
人類を含めたあらゆる生き物にとって、
自然は本能的に求める最終の心のよりどころとも言えるのではないでしょうか。
時に自然はわたしたちに思いもよらない形で試練をあたえます。
けれども
土のにおい、水の潤い、木々の優しさ、
そういうものにこれまであまり触れることのなかった子どもたちや
何かを失っていた大人たちも含め
いま、
屋外に出て、太陽の光を浴びながら
直に自然を感じ取り
それらが体の奥深くに沁みこんでいっているような気がします。
新型コロナウイルスはこの地球全体を脅かし
世界経済や、人々のあたり前の生活に打撲的な被害、恐怖、
そして哀しみさえももたらしました。
ただ、その裏でこういった本来あるべき姿の私たちの
暮らし方を顧みるきっかけをもたらしたのかもしれないとも思うのです。
それを証明するかの如く、
衛星写真に映し出された中国上空からの様子が
皮肉にもそれを現わしているのではないかと感じます。
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さくらの便りがあちこちで聞かれる季節となり
けれども今年は例年とは少し趣が異なってしまったけれど
やはり、季節ごとの花の便りは人々のこころを
いくぶんか慰めてくれるようです。
温暖化で日本の象徴ともいえる四季でさえ
やや曖昧になりそうな現代。
とはいえ、春の風は吹き、さくらは開き、燕たちはやってきています。
そういうものたちを受け入れる穏やかなこころを
保ち続けていきたいなと、
そんなふうに思います。
さくらのつぼみが膨らみ、ひとつ、またひとつと開き始めてきた今日この頃
生家の庭先にあった大桜を想い、また
その近くにそびえ立ち、見守っていてくれたかのように
優しく、雄々しくゆらぐポプラの木に
いろんな想いを馳せました。
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